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2016年06月29日

「考へる」といふこと。

 福田恒存の『論争のすすめ』は、昭和36年刊で、私が生まれる前の本である。この本の変はつたところは、前書きも後書きもなく、それぞれの論文の初出掲載記録もない。ただ寄せ集めて本にしたといふ体裁である。収録した論文の選別にはもちろん福田も関はつたはずだらうが、忙しすぎたのか、編集者とあまり関係がよくなかつたのか、その辺りは不明である(ただ、この本には新潮社の「新潮」編集部の「辣腕家」Q氏といふのが出てきて、その人に向かつて「文藝批評家失格」=「私=福田」にはもう文藝時評を書く資格はない。もし書くなら日本近代文学史を書き直すぐらゐの覚悟が必要だが、それは無理だ。いや文藝時評をこの時代に書く必要はないのではないかといふ文章、を書いてゐる)Pretty Renew 美容

 本書の冒頭にあるのは、「考へるといふ事」である。その中にかうある。

「解決を求めて出口のない迷路を駈けずり廻り、しかも當人だけは出口が見つかつた気でゐる、さういふ影のやうな一生を過すことこそ、自己欺瞞ではないだらうか。さらに、出口のない迷路を駈けずり廻ることのうちに誠実を見出し、そこに悲壮趣味の満足を求めるなら、そのとき自己欺瞞は二重になる。それよりは、まづ解決を目的とせず、解決はないかもしれぬと覚悟しておくなら、少くとも解決はついたとだまされるおそれはないはずである。さうして始めて、私達は人生を「明らめ」ることが出来、、影ではない本當の人生を生きることが出来るのではないか。そのやうに自分の置かれた場を、(中略)そしてさらに大きな社会や自然との関りを、「明らか」に見つめること、それが「考へる」ことなのであるdiamond coral 價錢。」(漢字は、そのままではありません)

 写してゐて、頭がくらくらした。かういふ文章を写して「解決した」と思つたら、自己欺瞞は三重になつてしまふ。そしてかう書いて満足したら、四重に、・・・・・・無限である。

 それでも「考へる」といふことを解決法を見出すことだと早合点してゐる向きには有効である。現実直視、それが大事であり、「逃げるな」といふことである。「解決などない」と自覚することなしに「解決」はないといふ逆説を、福田はここでも展開してゐる。言葉を使つて自分の精神を何とかコントロールしようとしてゐる。そのアクロバティックを可能にするには、強い支点(今時の言葉なら鍛へられた体幹)が必要なのだらうPretty Renew 美容


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